ご冥福をお祈りします

つかだきみこさん、というより、きみちゃん!と呼ぶのが自然です。
4月19日午前1時33分にロスアンゼルスのホスピスで亡くなりました。ニューヨークで友達になり、2010年、世界の4都市で同日に行った上映会では、ボランティアとして手伝ってくれました。2014年にロスに引っ越してから発病。頑張って闘病していましたが、早く逝ってしまいました。心よりご冥福をお祈りします。ありがとう、きみちゃん。会えてよかったよ。
Kimiko Tsukada passed away at 1:33am, April 19, 2018 in Los Angeles.
She volunteered for me when we held the one-day-screening in four-city around the world event in New York back in 2010. She got ill after moving to LA in 2014. Thank you, Kimi-chan, for being my friend. Rest in peace. Love.

photo: Anthony Alvarez photo:Anthony Alvarez

photo:Anthony Alvarez

photo:Anthony Alvarez

P1050426
P1050437

FMピパウシにラジオ出演しました!

irankarapte! 

(アイヌ語:イランカラプテ|日本語:こんにちは)

アイヌの口承文芸、*カムイユカラに続いて、この言葉で始まる*FMピパウシ

(**カムイユカラの「ラ」、ピパウシの「シ」は本来小さく表記します)

2001年に平取町二風谷で、萱野茂さんが始めました。アイヌにこだわったミニFM放送局、いわゆるコミュニティラジオ局です。

放送は月1回で1時間。地域のニュースや季節の話題、アイヌ語教室に通っている方の声やエッセイの紹介、

アイヌ関連の本の紹介など、内容は盛りだくさん!番組進行も地元の人が行っています。

KayanoSigeruShiro

FMピパウシのホームページの「放送風景の写真」より転載

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が平取滞在中に、代表の萱野志朗さんが、私にインタビューをして下さいました。

長年、地道に様々なアイヌ文化の伝承活動を続けておられる萱野志朗さんは、

萱野茂二風谷アイヌ資料館の運営や二風谷アイヌ語教室の事務局長としても

アイヌ文化の継承に貢献しておられます。

実はFMピパウシは、私が平取に通うきっかけとなった場所なんです。

その辺りの話もしていますので、宜しければ聞いてみてください。(少々緊張した話し方ですが・・・)

第186回目10月9日の放送分で、私が喋っているのは20分あたりから約10分です。

下記のリンクをクリックするとダウンロードできますので、是非、全部聞いてみてください!

(過去の放送は、ホームページから是非!)

fm161009

FMピパウシは、神戸から発信するFMわぃわぃでも、毎月第3土曜日18時〜19時にインターネットを通じて聴くことができます。

FMわぃわぃは、外国語放送も含めて他にも面白い番組があるので、是非チェックしてみてください!

iyayraykere! 

(アイヌ語:イヤイライケレ|日本語:ありがとう)

船を漕ぎ始めました

「溝ちゃん、どんなにしんどくても、

漕ぎ出した船を港に付けるのは、演出家の仕事なんやで」

まだ駆け出しの演出家で、あるクライアントが製作する短編文化映画を作っていた時、

私は、困難にぶちあたり、その演出を降りたいと愚痴っていた。

それを人づてで聞いた先輩の演出家からの電話で、最初に言われたのが、先述の言葉だった。

15年以上経った今でも鮮明に覚えている。

怒られたわけではなく、プロの演出家としての洒々落々としたアドバイスだった。

2008年に、初めてアイヌ文化を知るために平取町を訪れて以来、

1ー2年に1回ぐらいの割合で通い、その間、撮影をしたり、南米コロンビアの

先住民族と協働制作した短編映画を上映したりしながら、

この街で、市民メディアの観点から出来ることを模索していた。

ホームステイをさせてもらったり、あちこちで様々なことを親切に教えてもらったりと

地元の人には、かなりお世話になっており、愛着もわいていたのだが

2014年の末に、パートナーと共同運営していた非営利法人を辞任。

目的地がはっきりしないまま、私の船は港のなかを彷徨っている、そんな感じだった。

若い時に聞いた先輩の言葉も、頭に浮かびつつ、どうしたらよいか

解決策を見出せぬまま、やはり直接、お世話になった人に

自分の変化を話さなければと思い、2015年5月、平取町を再訪した。

ひょっとしたら、船を沈没させてしまうかも、という気持も抱いていたが、

地元の文化博物館に行った時に展開が変わり、協働で映像記録をするという

しっかりした目的が見えてきたのだった。

駆け出しの時代は、台本も手書き。連絡は電話。撮影も編集もテープ。

打ち合わせと称して、よく先輩や仲間と呑みにも行って、喋りながら色んなことを学んだ。殆どがアナログだった。

今や、台本シェアや連絡もインターネット。撮影も編集もデジタル。

ずいぶん便利になって、速さも数倍だ。

そんな中、変わらないこと。

それは実際に、その場所に行って、顔と顔を付き合わせた人との絆は強い。という事だ。

実際、記憶によく残る。そして何よりも温かい。

アナログとデジタルの使い分け。これを大切にしなければ、と、

デジタルどっぷりになりがちな自分に、言い聞かせている。