ドキュメンタリー映画の完成上映会をします!

2015年に構想を始めて、2016年と2017年に年数回のペースで、本格的な撮影をしてきた映像を、81分のドキュメンタリー映画にしました!来週、整音とマスタリングをしたら完成です。

市民メディアの活動の理念を大事にしたかったので、地元の二風谷アイヌ文化博物館と制作プロセスを密接に共有し、協働で仕上げました。アイヌ文化やアイヌ語の細かい所も、地元の専門家に監修して頂いています。

ワールドプレミア(世界初上映)は地元で!と、制作当初から決めておりました。

その完成記念上映会を、6月30日と7月1日に二風谷の沙流川歴史館で行います。耳の聞こえにくい人や、子ども達にも見て欲しいので、全編日本語字幕版を上映します。(小学6年生までで習う漢字を基準)

様々な形で協力していただいた、地元の方々へのお礼の気持ちを込めて、今回は無料上映です!! もちろん町外の人も、どなたでも無料で見ていただけます。

この機会にぜひ、足をお運びください。地元の主人公たちはもちろん、町内の関係者、私も同席します!地元ならではの盛り上がりや会話が弾む事を願っています。

開催日時

1回目 平成30年6月30日(土) 15:00~17:00

2回目 平成30年7月 1日(日) 13:00~15:00

内  容

平取町のアイヌ文化伝承の今を追ったドキュメンタリー映画。4人の古老(川奈野一信さん、萱野れい子さん、木幡サチ子さん、鍋澤保さん)による日々の暮らしや想い、地域での活動の姿を中心に、アイヌ文化を守り伝えていくためのメッセージを映像で発信します。

会  場 沙流川歴史館レクチャーホール

主  催 平取町立二風谷アイヌ文化博物館

申し込み 不要

定  員 各回210名(先着順)

観 覧 料 無料

問合せ先 博物館(☎01457−2-2892)

映画の公式ホームページは、目下、制作中です!

<シノプシス> 日本の先住民族・アイヌ。かつて、アイヌモシ(アイヌの大地)と呼ばれた北海道の日高地方・平取町には、今も多くのアイヌ民族が暮らしている。アイヌ文化研究において多大な貢献を果たした故・萱野茂氏の出身地でもある。

1869年、明治新政府がアイヌ民族を「平民」として戸籍を作成し、同化政策や開拓を進めた結果、アイヌ文化は急速に衰退していった。 一世紀半経過した今、生活スタイルを変容させながらも、アイヌ文化を伝承する努力を続けてきたこの地域には、現代のアイヌが快活に生きる。

ドキュメンタリーの主人公は、個性多様な4人の「Ainu=ひと」たち。差別と貧乏を経験した人、伝統的な縫物を作る人、祖母のカムイユカ(口承文芸)を聞き覚えている人、イオマンテ(熊送り)などの儀礼儀式を小さい頃に見聞きした人。文化伝承のために、地域のリーダー的存在として、積極的に活動する。昭和から平成のアイヌの変容を示す生き証人でもある「ひと」の姿を描いたドキュメンタリー。

製作・監督・撮影・編集:溝口尚美 (GARA FILMS)

協働企画・制作:GARA FILMS, 二風谷アイヌ文化博物館

アイヌ語監修・翻訳:関根 健司

アイヌ文化監修:山岸 俊紀

アイヌ音楽:平取アイヌ文化保存会

ムックリ(口琴):関根 真紀(工芸家)

オリジナル音楽:【02MA RECORDS】YASUNOBU MATSUO

整音:吉田 一郎(ガリレオクラブ

題字:東 學

船を漕ぎ始めました

「溝ちゃん、どんなにしんどくても、

漕ぎ出した船を港に付けるのは、演出家の仕事なんやで」

まだ駆け出しの演出家で、あるクライアントが製作する短編文化映画を作っていた時、

私は、困難にぶちあたり、その演出を降りたいと愚痴っていた。

それを人づてで聞いた先輩の演出家からの電話で、最初に言われたのが、先述の言葉だった。

15年以上経った今でも鮮明に覚えている。

怒られたわけではなく、プロの演出家としての洒々落々としたアドバイスだった。

2008年に、初めてアイヌ文化を知るために平取町を訪れて以来、

1ー2年に1回ぐらいの割合で通い、その間、撮影をしたり、南米コロンビアの

先住民族と協働制作した短編映画を上映したりしながら、

この街で、市民メディアの観点から出来ることを模索していた。

ホームステイをさせてもらったり、あちこちで様々なことを親切に教えてもらったりと

地元の人には、かなりお世話になっており、愛着もわいていたのだが

2014年の末に、パートナーと共同運営していた非営利法人を辞任。

目的地がはっきりしないまま、私の船は港のなかを彷徨っている、そんな感じだった。

若い時に聞いた先輩の言葉も、頭に浮かびつつ、どうしたらよいか

解決策を見出せぬまま、やはり直接、お世話になった人に

自分の変化を話さなければと思い、2015年5月、平取町を再訪した。

ひょっとしたら、船を沈没させてしまうかも、という気持も抱いていたが、

地元の文化博物館に行った時に展開が変わり、協働で映像記録をするという

しっかりした目的が見えてきたのだった。

駆け出しの時代は、台本も手書き。連絡は電話。撮影も編集もテープ。

打ち合わせと称して、よく先輩や仲間と呑みにも行って、喋りながら色んなことを学んだ。殆どがアナログだった。

今や、台本シェアや連絡もインターネット。撮影も編集もデジタル。

ずいぶん便利になって、速さも数倍だ。

そんな中、変わらないこと。

それは実際に、その場所に行って、顔と顔を付き合わせた人との絆は強い。という事だ。

実際、記憶によく残る。そして何よりも温かい。

アナログとデジタルの使い分け。これを大切にしなければ、と、

デジタルどっぷりになりがちな自分に、言い聞かせている。

2016年、北海道再訪

平取町立二風谷アイヌ文化博物館と協働で映像記録を始めました。

今年は、この夏で3回目の訪問となります。

古老たちの話、カムイユカなどの口承文芸、地元のアイヌ文化に関連する景観やイベントなどを記録。

これらを、総括してドキュメンタリー映画に昇華させたいと考えています。

オプシヌプリ

私のアプローチは、地元との密接な協働。

インタビューも地元の人が聞きたいこと、残したいことを地元の人に

聞いてもらい、その上で、私が外の立場から聞きたいことを加えました。

6月には、映画製作の事を、地元の新聞が記事にしてくださいました。

北海道新聞JUNE21_edited

平取町には、アイヌ民族が多く暮らしています。

アイヌ語や文化を学ぶ人も多く、継承する活動も盛んな街なので

これまで、国内外からも多くの人が訪れ、ドキュメンタリーも作られてきました。

でも、地元には、それらの映像が残っていません。

本企画では、特に地元の後世に継承する為の映像を記録したいと思いました。

加えて、国内外でも上映することで、豊かなアイヌ文化や人々の暮らし、想いを沢山の人に

伝えたいと考えています。

この10年あまり、市民メディアにこだわってきた私としては、地元の人が自ら

ビデオ撮影や制作をしてもらいたいという気持ちがあります。

2月、地元の人の要望もあって、博物館と近くの別の事務所の人に声をかけ、

パイロット版のビデオワークショップも行いました。

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プロの現場で、私が体で学んできた上手く撮影する為の、ちょっとしたコツや

画角の意味などをお伝えし、私が持参したカメラとワイヤレスマイクも、全員に操作して、体験してもらいました。

世界どこでも、地元の事は地元の人が一番熟知していますし、想いも強いです。

その人たちがカメラを持つ意味、撮った映像というのは、特別だと信じています。

私が居ない間に、地元の人がいい映像を撮って、それらも映画に入れられたら最高だなと思います。

まだまだ、撮影段階なので、完成までには時間が必要ですが

1ー2年以内には、編集を終えたいと考えています。

アイヌ語教室にカメラを寄付しました

北海道の平取町二風谷は、私が2008年から通っているアイヌ民族が人口の 約8割を占める街です。アイヌ語は、極めて消滅の危機にあるとユネスコが認定しており、その保存と継承が急務とされています。

2015年5月に、平取町を再訪した時、「ユカと語り部」という集まりが、地元のアイヌ語教室主催で行われていました。これは、古老に昔に経験した事や、ユカ(レニという拍子棒でリズムを取りながら、節をつけて語られる英雄叙事詩を聞くというものです。

伝統的なチセという茅葺きの建物で、囲炉裏を囲んで老若男女が集い、古老たちの話を聞く様子を見ながら、これはビデオで記録しないともったいない!と思いました。その時は、私がカメラを持参していたので、私が記録しましたが、私は平取町で暮らしていないので、撮り続ける事はできません。

そこで、アイヌ語教室の事務局長である萱野志朗さんに、私の思いを伝え、中古のビデオカメラがあるので差し上げたら使いますか?と聞いてみたのです。萱野さんは、1990年代に、自ら2本、短編を製作した経験もあり、ビデオの使い方を周知である事はわかっていましたので、安心して預ける事ができました。

この中古ビデオカメラは、私の旧友が送ってくれた物です。私は、2008年から2014年まで共同運営していたシネミンガの活動の一環として、使わなくなった中古カメラやパソコンを募り、機材が購入できない南米の先住民の人たちに渡していたのです。でも、日本のカメラは、日本語メニューしかないものが殆どだったので、使い方をどうしようかと思案していた所でした。

溝口尚美さんのビデオ寄贈の

北海道新聞(2015年7月2日)

今の目標は、撮り貯めた素材を編集する為に、どうにかして地元に置いておける機材を調達する事です。そして作った映像が、地元の人たちの宝として色々な形で活用されたらいいなと思っています。

最後に・・・。もしも、ご自宅や職場で、眠っているビデオカメラがあったら、是非ご一報ください。できれば、miniDVテープ式、もしくは、それ以降のSDカードなど新しい機材が嬉しいです。加えて、中古・新品のテープも、とても役立ちますので、もし処理にお困りのテープがありましたら、是非、寄付をお願いします。中古のテープは、私が責任を持って内容を消去し、アイヌ語教室に寄付します!

南米コロンビアのホセさんが、アイヌコミュニティを訪問

ホセ・メロ・チンガルさんは、南米コロンビアのマグイという地域で暮らすアワ民族です。
マグイは、アンデス山脈にあり、首都ボゴタからマグイまでは、数台のバスと徒歩で、数日かかります。

Colombia_magui Map

ホセさんの故郷は、20年以上に亘り、政府軍と反政府ゲリラの紛争に長年、巻き込まれています。中には、殺されたり、怪我をしたり、難民になった人たちも多くいます。

私がホセさんの事を知ったのは、写真家の柴田大輔さんを通してでした。柴田さんは2006年から南米コロンビアに通い、多様な風土に生きる先住民族を撮り続けていました。私もコロンビアで、ビデオを先住民族と共に製作する活動をしており、それがきっかけで、柴田さんと現地で会いました。

写真:© 柴田大輔

写真:© 柴田大輔

ホセさんの地域の事が、メディアで取り上げられる事は殆どありません。そして、ホセさんが地域の事を世界の人にも知らせたいと聞き、写真用のカメラを寄付し、ブログ作りを手伝いました。ブログはスペイン語だけでなく、英語版と日本語版も作りました。
この写真用のカメラは、私の学生時代の知人から寄付を受けた中古カメラで、これまでの企画でも、出来る限り、使わなくなったカメラを寄付してもらって、再利用してきました。

2015年5月、柴田さんは、ホセさんを日本に呼んで、スピーキングツアーするという企画を打ち立て、クラウドファンディングで資金を集め、実現させました。ツアーは、北海道・茨城・東京・愛知・京都・広島の学校や地域の様々な場所で行われ、柴田さんが写真を見せながら、ホセさんの話を翻訳し、質疑応答をするというスタイルでした。

北海道では、私が2008年から通っているアイヌ民族のコミュニティも訪問すると聞き、私もその日程に合わせて、北海道に行く事にしました。
ホセさんは、地元でアイヌ民族の伝統的な植物などの再生と継承に取り組むNPOの活動 に興味があり、同じような事を故郷でもしたいので、見学に訪れたのです。
地元の人たちとも交流し、ホセさんが持っていたバッグの素材や編み方が似ていて盛り上がったりして、とても楽しい一時でした。
その後、ホセさんは札幌の高校や大学で講演し、私はその様子をビデオに撮りました。
次に、柴田さんがマグイに行く時に、編集したDVDを持って行ってもらおうと思っています。

北海道新聞(2015年5月31日)

北海道新聞(2015年5月31日)

60才のホセさんは海外旅行が初めて。そして、文字通り、地球の裏側から徒歩・バス・飛行機を使って、東京に着き、その後も国内を移動しながら、休みなく講演が続いたというのに、疲れが見えず、それどころか、好奇心旺盛で笑顔を見せていました。彼の体力と精神力には、感服しました。

北海道学園大学にて

北海道学園大学にて