船を漕ぎ始めました

「溝ちゃん、どんなにしんどくても、

漕ぎ出した船を港に付けるのは、演出家の仕事なんやで」

まだ駆け出しの演出家で、あるクライアントが製作する短編文化映画を作っていた時、

私は、困難にぶちあたり、その演出を降りたいと愚痴っていた。

それを人づてで聞いた先輩の演出家からの電話で、最初に言われたのが、先述の言葉だった。

15年以上経った今でも鮮明に覚えている。

怒られたわけではなく、プロの演出家としての洒々落々としたアドバイスだった。

2008年に、初めてアイヌ文化を知るために平取町を訪れて以来、

1ー2年に1回ぐらいの割合で通い、その間、撮影をしたり、南米コロンビアの

先住民族と協働制作した短編映画を上映したりしながら、

この街で、市民メディアの観点から出来ることを模索していた。

ホームステイをさせてもらったり、あちこちで様々なことを親切に教えてもらったりと

地元の人には、かなりお世話になっており、愛着もわいていたのだが

2014年の末に、パートナーと共同運営していた非営利法人を辞任。

目的地がはっきりしないまま、私の船は港のなかを彷徨っている、そんな感じだった。

若い時に聞いた先輩の言葉も、頭に浮かびつつ、どうしたらよいか

解決策を見出せぬまま、やはり直接、お世話になった人に

自分の変化を話さなければと思い、2015年5月、平取町を再訪した。

ひょっとしたら、船を沈没させてしまうかも、という気持も抱いていたが、

地元の文化博物館に行った時に展開が変わり、協働で映像記録をするという

しっかりした目的が見えてきたのだった。

駆け出しの時代は、台本も手書き。連絡は電話。撮影も編集もテープ。

打ち合わせと称して、よく先輩や仲間と呑みにも行って、喋りながら色んなことを学んだ。殆どがアナログだった。

今や、台本シェアや連絡もインターネット。撮影も編集もデジタル。

ずいぶん便利になって、速さも数倍だ。

そんな中、変わらないこと。

それは実際に、その場所に行って、顔と顔を付き合わせた人との絆は強い。という事だ。

実際、記憶によく残る。そして何よりも温かい。

アナログとデジタルの使い分け。これを大切にしなければ、と、

デジタルどっぷりになりがちな自分に、言い聞かせている。